2/8(金)、ゲストにお越しいただいたのは、少年王者舘の天野天街さん。今回の出演者は、上田誠です。そもそも、天野天街さんと、ヨーロッパ企画の出会いは、第15回公演「ムーミン」を、天野天街さんが、見にきてくださったことから。それ以来、「以前から、天野天街さんの作品を拝見していた」上田誠と、「おたがいの公演をみては、そのあとおはなしをする」という、ご縁がつづいており。今回のトークショーは、そんな「おはなし」の延長線上、のような様相。ヨーロッパ企画第25回公演「火星の倉庫」の、舞台映像を上映したのち、対談のようなトークショーが、はじまりました。

まず、天野天街さんからいただいたのは、「映像が見やすかった」という、うれしいお言葉。舞台も見ていただいた、天野天街さんからの、最初の感想です。ふつう、舞台を映像におさめたときには、見にくくなることが、多いのだとか。そこから、「舞台と映像のちがい」「舞台でしか、できないこと」のはなしに、なりました。

 
   
  上田 舞台って、映像におさめるのが、難しいっていうか・・・。はなから、まぁかなり無理のあることを、していて。  
  天野 ええ。  
  上田 僕のはなしになっちゃうんですが・・・。「サマータイムマシン・ブルース」っていうのを、映像化していただいてですね。それ以来、とくに、「舞台でしか、できないことってなんだろう」っていうことを、けっこう、かんがえながら、作品をつくっていまして。そのなかの、ひとつの要素として、「パノラマ感」と言いましょうか。「いろんなところで、事件がおこっていて」それを、「じぶんの視点で、ズームする」という。 つまり、映像では「地形」っていうのが把握しにくいんだけど、それが、じっさいに目のまえに「地形」があると、「どの場所に、どのひとがいるか」っていうのが、すぐ分かる、っていう。 そういうことって、映画でやるよりも、生の空間のほうが、位置関係とかが、すごくステキに見えるんじゃないだろうか、とか。  
  天野 たしかに、パノラマにおいては、そうですね。けど、たとえば、「コンテナのむこうで、なにがおこっているか」ということについては、もちろん想像力においての、世界で。  
  上田 そうですね、はい。  
  天野 それが、映画だと「コンテナの、むこうがわのシーン」を、カットではさめちゃいますよね。舞台では、それがないんですよね。とうぜんのごとく(笑)。  
  上田 ええ。そうなんですよね。  
  天野 あと、演劇本来の「時制の一致」というか。「火星の倉庫」も、時間が飛びませんよね。ずっと、最初から最後まで。同時進行ですよね?  
  上田 いちおう、最初にギャングのシーンが、あるんですけど、そこ以降は。それも、「演劇の特性」というか。けっきょく、シーンの舞台転換とかって、映像のカット割りのほうが、はやいわけで。  
  天野 そうですね。  
  上田 特に今回のは、「じっさいに、コンテナがグイグイ動いていく」っていうところが、醍醐味なんで。時間を飛ばしちゃうと、ちょっと、なんのこっちゃ、わからないっていうのがあって。  
  天野 その逆で、ギリギリ厳しかったりとか・・・脚本を、書くがわの、はなしなんだけど・・・。つまり、どうしても「ひとの出入り」が。たとえば、本多くんのシーンが、やってるとき、っていうのは、ギャングのひとは、出てこれないじゃないですか。でも「そんな時間かかんのかよ」って、見てるほうが、思っちゃうようなことが、たとえば、発生しますよね。  
  上田 そうですね。そのへんが、「みごとに、ぐうぜんのタイミングで入れかわってる」のが。べつに、確率的には、おこり得るんですけど。やっぱり、力学にしたがってないと、きしょくがわるい、というか。  
  天野 「都合がよすぎるところを、どう、都合がよすぎないように、見せるか」っていう、ところですよね。  
  上田 そう。そうなんですよね。あとね、お聞きしたかったんですけど、僕のお芝居って、なるべく、3次元というか、「高さ」をつかうように、こころがけているところが、ありまして。 天街さんの舞台を拝見しても、かなり、「高さ」をつかっておられるというか・・・。 お芝居って、平面上や、ともすれば直線上を、動いてるものとかに、なりがちだったりするところを、天街さんの作品は、空間も自在につかったり、とか。時間も、となりあわせたり、とかっていうふうな、作品かな、って思ってるんですけど・・・。  
  天野 そうですね。時間もふくめて「あるものぜんぶ、使いたい」っていう、そういう・・・。ただ、それだけの、欲求なんですよね。「なんか、もったいない気がして」っていう。  
  上田 はいはいはい・・・。「こんだけ額縁が、あるんだから」っていう、ことですよね?  
  天野 そうそう。「使わないことによって、みせる」ことって、いっぱいあると、思うんですけど。 「ない」ようなことを思わせるためには、「非常に、過剰なものが、あった」あと、「なくしちゃう」と、「よりいっそう見えたり」っていう。そのために、空間をむちゃくちゃつかったり、とか。そういうことも、ありますね。  
  上田 それって、なんていうんでしょう・・・。べつにそれって、ぜんぜん、ストーリーの起承転結ではなくって。 「ものすごい過剰なこと」が、あったあとの、「なくなる」という、「ない」感じの「劇性」というか。そのあたりのこととかも、舞台だからこそ、じっさいにその場で「やってる」というこが、より感じられたり。  
  天野 だから、またべつのやりかただとは、おもうんですが、「舞台でしかできないこと」っていうことを、かんがえてますよね。上田さんも、僕も。  
  上田 「抽象的な舞台で」とか、「抽象的な役割で」とか、「早がわり」とか。セリフも、「具体的なセリフ」じゃなくって、かなり「詩的な言葉」を言ったり、とか。 それは、映像では、ほとんど見られないと思うんです。お芝居でしか、成立しえないことだったりするので。そういうことって、結構、天街さんは、使われますよね?  
  天野 そうですね。・・・舞台版の、「サマータイムマシン・ブルース」は、そういうギリギリのところで、されてましたよね。ひとりの人間が、カチ合っちゃいけない、ギリギリのところ、ですよね。その、「早がわり」に、ちかい。  
  上田 ええ、ええ、ええ。  
  天野 ですよね。その、演劇の、トリック。  
  上田 はいはいはい。その、あたりの・・・。なんて言うんですかね。・・・(しばし考えこむ上田)。その、「早がわりして、こっち(ちがう場所)から出てくる」とかしたときに、映像はなんでもできるかわりに、たぶんそれをすると、ちょっと、チープに見えたり。 でもそれが、舞台のうえでは、成立したり、とか。・・・っていうあたりのことは、やっていきたいな、と思うんですが。・・・(お客さんに向って)今日はわりと、こういうはなしをする、夜ですよ。最終日にして、ねぇ(笑)。  
     
 

そして、天野天街さんの映画「トワイライツ」を上映。 「トワイライツ」は、「愛知芸術文化センターオリジナル映像作品 第3弾」として制作され、天野天街さんが、監督をなさった、1994年の作品です。 「地上の各所に置き忘れられた過去・現在・未来の郷愁を採取してマボロシの地図をめぐるノスタルジック・ロード・ムービー」(チラシより)

 
   
  上田 これかなり、映像としては・・・。あまり、映像表現には見られないような、手法とかを使われてますよね?  
  天野 というよりも、映画のはじまりのころ、だれでも考えたような、「映画ってこういうことが、できるんだな」っていうことが、いっぱいあったとおもうんですけど。そこらへんに近いような、気もします。  
  上田 それを今、進化させたというよな?  
  天野 映像の歴史っていうのは、あとづけで見ていっただけなんで。「進化」というよりも、じぶんなりに、フィルムを目のまえにして、「ああ、こういうことができるな」っていうことと、「最初のころのひとは、そうなんだろうな」っていうことを、思って。  
  上田

なるほど。この作品、じつは、海外でもいろいろな賞を、受賞されていたりするんですよね。まず、お聞きしたいことが、作品をつくるうえでの、趣向といいますか。「フィルムを逆回ししたら、こんな映像ができるな」とか、そういうところを、つむいでおはなしをつくろう、というところから発想されるのか。 それとも、全体の、「こういう、風合いのことがやりたい」という、ところからなのか。

 
  天野 これは、おはなしも何も、ないわけで。じつは、予算も、日程も、かぎられていて。そのなかで、おはなしを長くするよりかは、みじかくして。セットを組むよりも、借景で、という。  
  上田 はあ。つまり、ハードの、外がわの部分から、決まってきて、ということですよね。  
  天野 ええ。それで、ロケハンとかしていたら、長い、いい道があって。その道の最後に、線路があって。「あっ、これにしよう」と。最後に線路があるので、「電車にひかれちゃった、ある人のはなしにしよう」と。  
  上田 つまり、自由課題で、「なんでもやっていいですよ」っていう、ことではなく、もともと、なにか制約のあるなかでつくる、っていう。そうしたつくりかた、っていうのは、ぜんぜん、お厭ではないような、感じをうけたんですけども・・・。  
  天野 そうですね。  
  上田 たとえば、CGとかって、おきらいですか?  
  天野

きらいじゃないんですけど、でも、制約があればあるほど、燃える。つまり、CGっていうのは、「なんでもできる」わけじゃないんだけど・・・「なんにもできなさ」の部分を見きるのが、むずかしい。なんでもできてしまいそうな、ギリギリのところですよね。

 
  上田 はいはいはい。  
  天野 そうすると、発想するまえに、「発想したよりも、いいものが絶対あるに、きまってる」とおもっちゃうと、なかなか。発想すらできなくなるような。  
  上田 ようするに、「まだあつかいきれない、魔術」みたいなところで。  
  天野 そういうことですよね。「もっと、できるんじゃないか」と思っちゃうと、おかしくなっちゃう。それよりも、ゼロで、「手作りCG」みたいなことのほうが、ただ、ほんとうにアイデアだけで、いけるので。あとは、「制約」ですね。「ある限界」が、あってしまう、ギリギリのところで考えると、「水脈」ができる、っていうか。  
  上田 ええ、ええ。つまり、・・・なんとなくなんですけど、わりと僕も、って、天街さんといっしょにするのは、アレなんですけど、「まだまだ、あそびきれてないだろう」っていう、技術とか・・・。「フィルムの逆まわしをするだけで、もっとこういうことができるだろう」っていうこととか。たとえば、演劇でも、高いところにのぼったら、おもしろかったり、じっさいに舞台上で、モノを食べたりしたらおもしろいのに、とか。 こういうことって、すごい、プリミティブで、まだまだ鉱脈があるのに、大人になっていくにつれて、やらなくなってしまう、というか。それを、子供心に忠実にというか、そういう作品のつくりかたをされてるな、って感じますが。  
  天野 あぁ(笑)。  
  上田 まさに、「あそびつくすまで」。「まだ、このおもちゃを、あそびきれてない」といって。そんなかんじの、印象をうけましたね。だからその、パーツをあつめて、「これおもしろい」「じゃあ、これをいかそう」ってやってるうちに、作品って、ひとつ、できてしまうもので。・・・っていうような、かんじなんですよね。  
   
  天野 上田さんと、ヨーロッパのみんなが、やられてるものっていうのは、僕とはぜんぜんちがう角度から、アイデアもふくめて、ディテールのつみ重ねにおいての、そういうのを、出しあっていくうちに・・・。自然に、ではないんだけど、ある「道すじ」や、「水脈」ができてできていく。すごくそんなかんじが、するんですけどね。  
  上田 「サンプリング」というのに、ちかいというか。まず、「ものをつくるのが、おもしろい」っていうのが、第一にあって。たとえば、お芝居で、「役者がひとりしかいない」ってなったときに、じゃあ「ひとり」をつかって、「どんなおもしろいことが、できるか」っていう。それこそ、「お題」があたえられたほうが。それじたいに、すごく、ものをつくるおもしろさを見いだすところが、わりとあって。そういう動機でやっていくうちに「あ、じゃあ今回は、こういう作品ができた」っていう。わりと、僕は、そいういうかんじで、つくってるんですけど。天街さんも、そんなかたちでしょうか?  
  天野 ・・・。  
  上田 ・・・?  
  天野 いや、上田さん、いいなぁ、とおもって。しあわせだなぁ、とおもって(笑)。  
  上田 いやいやいや(笑)。でも、天街さんも、わりとそういう、つくりかたですよね?  
  天野 僕は、ひとりで、頭のなかだけで、勝手にやるだけなんで・・・(笑)。さみしいんですよ。すっごく、うらやましいなぁ、と。  
  上田 (笑)。チームで、つくるっていうことが。  
  天野 ええ。  
  上田 僕はけっこう、コミュニケーションのなかで、作品をつくっていくんで、不明瞭な部分というか、個人的なアートの部分というか、そこは、相手に分かられなかったら、できないんで。けど、そこって、なかなか外に、出ないんですよね。でも、天街さんの作品は、まさしく天街さんのなかで、つくりあげたことを、ボコっと、こう、出してる。その度合いは、高いだろうな、っていう。  
  天野 この作品(「トワイライツ」)においては、そうですね。すごく、撮りやすいようなかたちで。だれにも説明しなくても、みんなができるような状態で。そういうことしか、撮ってないんですね。ただ、うらやましいのは・・・ブレーンとして、質が高いまま、ずっと・・・。 へんな言いかただけど、ほんとに・・・友達感覚では、全然ないんだし・・・どういう・・・なんて言ったらいいんだろう。あっ、ごめんなさいね。「うらやましい、うらやましい」って言ってるのは、ほんとに、作りかたを傍から見てて、なんですけども。あ、っていうのは、ラスク屋さん(ヨーロパハウス)においての、共同生活なんですけど(笑)。  
  上田 ああ、あの、例の(笑)。  
  天野 ぜんぜん、「トキワ荘」とかと、まったくちがって、学生時代の、甘美な・・・。いろんな表現者があつまって、1個のものを・・・っていう。もうひとついうと、全然みんな知らないだろうけど、戦前の、「マキノ雅弘」とかが、共同脚本をかいているような、状態っていう。下宿屋のようなところに、ひとがいっぱいあつまって、一ヶ月くらい、お酒を飲みながら書いている、というような。・・・それとはちょっと、ちがうんだけど(笑)。なんか、ヨーロッパ企画には、そういうニオイが、多少するところが、うらやましいな、とおもいますね。  
  上田 ありがとうございます・・・。たぶん僕のところって、実家が工場で、もう生まれながらにして、そういうのを見ながら育ってて。だから、なんとなく、チームでものをつくるっていう方法論を、なるべく明文化して、チームで持っていれば、すり減らないなんじゃないかな、とか、っていう。偶然そうなった、というよりか、かなり、それを志向してやってる、ということが強くて。逆にいうと、僕、絵がかけないんですよ。じぶんの字が、きらいだったりするんです。だからわりと、ひとから借りてきて、っていうことが、すきだったり。なので、こういう作品をつくられる、天街さんに、あこがれるんです。  
  天野 でもこれは、あきらかに、「いろんなところから風景を持って来て、コラージュした」っていうもんだから、同じことですよ(笑)。  
  上田 いや、でも! そうですかねぇ・・・(笑)。・・・というところで、そろそろお時間で。(お客さんに向って)みなさんも、こうした様々な映像作品、劇作っていう切り口で、わりと掘ってみると、「まだまだ面白い見かたが、できるんじゃないか」というふうに思っております。ですので、ぜひこういった作品を、味わっていただければな、と思います。  
 
  最終日にふさわしい、濃く、深い内容のトークショー。 そして、天野天街さんが紡がれる言葉を、「ひとことも聞き逃すまい」とでもするような、客席の集中力。 こうして、一週間にわたったイベント、「京都シネマVSヨーロッパ企画 vol.1 〜冬のサマータイムマシン・ブルース〜」は、静かな熱気に包まれて、幕引きを迎えたのでした。