[ヨーロッパスタジオ]>[特別対談 天野天街×上田 誠]

少年王者舘ホームページ:http://www.oujakan.jp/

上田
今回は3年ぶりの新作で、しかも京都では初めて公演をされるんですよね?
天野
そうそう、本公演としては京都は初めて。新作のタイトルは『夢+夜』と書いて「ゆめたすよる」。さっき「自分縛り」の話が出てたけど、俺は王者舘の芝居では「夢」って言葉を使わないように自縛していた。でも今回は最初からタイトルに「夢」って付けちゃって、初めて真っ向から夢をテーマにやってみようと思ったわけ。それって自分の中では、明らかな“縛り”なんですね。「いわゆる夢のことをやりますよ」というのを、自ら看板として上げちゃってる状態。そこから「じゃあ一体、夢ってどんなもんなんだ?」っていうようなことを、勝手な問いかけの相手として想い描きながら作っていこうと思ってます。
上田
僕もタイトルを付ける時には、そういうのがあるんですよ。どっちにしろその言葉に縛られるのなら、せめて自分からは遠い物にしておこうと。タイトルの段階で飛ばしとかんと、いつ跳躍するんだ? ってなりますし。ただ今回(『ボス…』)は、ファンタジーって結構自分に近い要素だったんで、なかなか飛べなかったんですけど(笑)。まあそれが面白くもあったんですが、天街さんの考えもそれと同じですよね?
天野
すっげえ恥ずかしいというか、露骨ですよね。あからさま。でも自分では言わないように言わないように避けていた言葉を、逆にポンと全面に出してみたら、かえってどういうことになるんだろう? という面白さもあります。
上田
縛りの話で言うと、今回僕が感じたのは、タイトルの「夢」も「夜」も、どちらも輪郭がないものだということですね。
天野
そう。パッと見て「ふうん、夢と夜を足したのか」って思うだろうけど、よく考えたら、それって何のことかわからない(笑)。この「よくわかんない」という感覚を一応先に出しておいて、後でそれについて考えるんです。もちろん「ここから何か変なことが出ないかなあ」という、そういう期待があってやっているんですけど。
上田
それで今一番考えてるのは、どういうことなんですか?
天野
見る人と見られる人がいるという、基本的な問題。つまり映画でも芝居でも、夢の世界を描いてる作品って、その夢を見ているはずの本人も、一緒に登場していることが多いでしょ。でもそれはおかしいんじゃないか? って、俺は思うんですよね。
上田
ああ、夢は主観のものですもんね。
天野
つまり「主観=見てる人」だとしたら、演劇の場合主観とは役者ではなく観客だ、ということになる。そういう「今目の前で見ている“夢”の主観は観客自身である」という構造を、わかりやすく…ではないな。変な形で出していきたい、というのはあります。
上田
つまり夢を客観世界じゃなくて、完全な主観世界として見せると?
天野
そうそう。夢を見ているはずの主体が、舞台上に立っているわけがないという考えから出発してるから。
上田
じゃあそうなると、装置としては割と明確なシステムを使うわけですか?
天野
だから劇の構造の装置として、今回は演劇でP.O.V.(Point Of View)をやってみたいんですよ。映画で言うところの「主観映像」ね。
上田
それはすごいですねえ。
天野
でもP.O.V.って、機械においての考え方ですよね。映像だと主観が見たそのままの景色を、カメラが代わりに再現してくれるわけだから。だからどんな風にすれば、演劇でも主観映像的な感触を出すことができるのか? 夢の状態を、そのまま舞台上に提示するにはどうすればいいのか? あるいは「夢を見る」とは一体何だろう? と。そういうことなんですよ。精神的なことは全く抜きにしてね。
上田
なるほどなるほど。興味深いですねえ。多分天街さんの世界って、ヨーロッパ企画の芝居が好きな人にも面白がってもらえると思うんですよ。それで今回ヨーロッパが、全面的に制作協力をすることになったわけで。僕らが名古屋で公演を打った時、王者舘の方々にすごく良くしていただいたということもありましたしね。だから皆さんが僕らの地元の京都に初めて来られるというのならば、やっぱりそのお返しに迎え撃たねばというか…。
天野
迎え撃つって(笑)。
上田
まあそれは大仰ですけど(笑)、単純にヨーロッパ企画のファンの人にも、ぜひ少年王者舘を知っていただきたいんですよね。やっぱり自分の好きな劇団は、たくさんの人に観てもらいたいって思いますし。ちなみに今回の公演の立ち上げは京都ですか?
天野
立ち上げは地元の名古屋で、それから京都に来て、その後に(東京の)ザ・スズナリ。だから京都公演は、未完成の危険度がちょっと減ってます。
一同
(笑)
上田
危険て…やっぱり危険は自分たちの土地で冒す、っていうのはすごいなあ(笑)。
(構成:吉永美和子)